2015年9月20日日曜日

東海道53次ノハジメ 

東海道53次ノハジメ 
~日本橋から川崎宿~

東海道53次。

言わずと知れた江戸、日本橋から京都、三条大橋までの約492㌔、53もの宿場である。
歌川広重の浮世絵がとても有名な、あの東海道53次。

いつか東海道を歩いてみたいなぁと、ぼんやり思っていましたが、本当に歩いてみようかな・・・と思い立った次第でございます。

まず最初に地図の載っているガイドブックを2冊購入。

実際、歩きはじめるにあたり”自分的ルール”もいくつか設定しました。

ここでルールの説明です

・宿場から宿場の移動にあたり、宿泊が出来ない為、日帰りの工程とする。その際、自宅に戻る為の折り返しは宿場とする
・各宿場で、食事をとる(その地域の美味しいものはなるべく食べる)
・風呂があれば入れればなお良し(その為お風呂セットを持参する)
・無理をしない
・嫌になったら、やめても良し

最後のほうがかなり自分に甘い設定となりましたが、楽しくなくても嫌なのであえて無理をしない設定にしました。
 また、日帰りでの旅程となる為、始点から途中まで歩き、電車で帰宅し また次回はその途中まで電車で行き…といった工程になる為、後になればなるほど、お金がかかるという具合です。はたして何回で京都までいけるのでしょうか…
とりあえず月1回は「東海道の日」を作りたいと考えています。

***

さて、さっそく旅路へと出立すべく、目覚ましを早めの時間にセットしていたにも関わらず、少し寝坊ぎみで日本橋へと向かいます。


朝8:30日本橋へと到着。


履いて行く靴を色々考えて、とても軽いロードラン用の靴にしようかと思ったのですが、足の裏が痛くなるのも嫌なので、靴底の厚めの靴を選びました。


こちらは、かの有名な歌川広重の東海道53次「日本橋」。
先日、浅草にあるアミューズミュージアムという美術館へ行ったのですが、その時浮世絵のムービーが上映されていて、こちらの浮世絵の解説を聞いてまいりました。

夏の明け方の日本橋の風景。当時は魚河岸があり、大名行列の脇にはこれから魚を売りにいく行商、また橋のたもとには、行商が落としていったかも知れない お魚をいただいている(かもしれない)犬。

日本橋には「魚市場発祥の地碑」があります(見なかったですが)

さて、こちらは現在の日本橋。


浮世絵右側、橋のたもとに掲げてある高札、現在ではその場所には交番が。
昔も今も「お上」がかかわっているのは変わらないのですね。
そんな風な解説もありました。

***

日本橋より15号、第一京浜をひたすらにまっすぐ歩きます。
京橋、銀座を抜けて新橋を抜け、浜松町へ。
日本橋からここまでは非常に近く、朝8:30スタートだったので休日の都心はまだあまり人がいなく気持ちよく歩けました。

途中、朝ごはんを食べていなかったのでとてもお腹がすき、どうしようか…とあたりを見回すも、お店はまだ開いておらず、結局吉野家で「とうふぶっかけ飯」290円を食べました。
東海道最初の食事は吉野家…
今度からおにぎりでも持参しようと思いつつ、空腹も満たされたので良しとします。

浜松町にさしかかると右側に芝大神宮があります。

今日は祭りだったようで、おみこしが神宮へと向かっていて、参拝するのは止めにしました。

その先、奥には増上寺があります。


こちらでは参拝させて頂きました。
東海道は神社やお寺が非常に多く、第一京浜沿いに数えられないくらいお寺や神社があります。

増上寺を後に、また第一京浜へと戻り、金杉橋を渡ると、その先は田町。


田町までも、さほど遠くは感じず、まだ足は軽いです。
田町を過ぎて、高輪へ。

札の辻の交差点を過ぎると「高輪大木戸跡」があります。
ここは、江戸の一番南、これから京へと旅立つ方を見送ったりした場所だそうです。


いくつも積まれた石垣に当時の江戸を思いました。
ガイドブックによれば、江戸日本橋を朝4時頃出発して、ここで夜明けの提灯を消したとか。
季節にもよるだろうけども、朝4時にまだ暗く、ここで提灯を消すとなるとやはり1時間は当時も歩いたのかもしれません。

今は歩道も整備されているけども、当時は土の道だし、橋も木製だし、靴も草履。
歩きやすさはどのくらい違うのでしょうか…
草履は持っていませんが、足袋は持ってるので今度は足袋で歩いてみようか…など考えつつ、その先右手側奥にある「御田八幡神社」へ。江戸時代にはお社の向こうは海だったとか。こちらでは参拝後、御朱印を頂きました。
 ここまで歩いてきたけれど、今では埋め立てられてしまった川なども多く、当時を偲べる場所も少ないのかも知れない。

更に歩くと 泉岳寺の交差点に差し掛かる。
泉岳寺もお参りした事が無かったので、お参りを。
このあたりは古くからある歴史のある建物も多そうなので、また別途来てみたら面白そうだなぁと思いました。

泉岳寺を過ぎると品川までは目と鼻の先。

最初の宿場「品川宿」は北品川駅そばになるので、JR品川駅を更に過ぎ八ツ山橋を左に折れ、旧東海道へと進みます。


ここまで超方向音痴な私でも本を片手に迷わず来れました。 笑。
旧東海道に入ると、品川宿まではとても近いです。


こちらは現在の品川宿。
商店街になっております。


こちらは浮世絵の品川宿。
現在では海はありませんが、当時は遠浅の海が広がっていて、ここで採れた海苔が浅草へと渡り「浅草海苔」になったとか。
…知りませんでした。浅草の方も海だったので、浅草で採れた海苔を浅草海苔だとずーっと思っていたのですが…。

さて、最初のミッションです。

「宿場で食事をとる」

ちょうど、時間も昼前だったので早速食事をすることに。
とはいえ、休日だからか開いているお店はさほど多くはないようでした。
商店街には「品川宿」のポスターが貼られ、昔もここは活気があって食事ができるところもたくさんあったんだろうな。でも宿場って位だから、宿だけなのかな?など色々考えつつ、お蕎麦屋さんを発見したので入ってみることに。


もう秋だというのに、今日は夏のように暑く「冷やし蕎麦」を注文。
ハマグリの出汁をきかせた塩ベースのつゆのお蕎麦で、汗をかいていたので塩味がとても美味しかったです。
他にも「花魁蕎麦」など、”品川宿っぽい”感じのメニューもありました。

商店街にもお寺が多々あり、善福寺へ寄りました。
こちらは「伊豆長八の鏝絵」が有名だそうで、以前紹介した猫の漫画、「猫絵十兵衛お伽草紙」にも鏝絵がちょろっと出てくるので、見てみたかったので寄りました。



この壁に描かれた龍?が鏝絵だと思うのですが(違ってたらどうしよう)鏝だけで、壁に絵を装飾したとはすごい。左官屋さんてすごいな…と。
現代でも鏝絵とかあるのかな?
自宅の壁に鏝絵とかあったら素敵だなぁ…と思いましたが、富の象徴として装飾されいたもののようなので、私には無理だな。と少ししょんぼり。

***

さて、今日はもう少し歩こうと また旧東海道へと戻り歩きます。
まだ足は大丈夫。

ひたすらと旧東海道を歩き、品川橋を渡る。


青物横町ふきんに差し掛かると品川寺があります


本によりますと江戸六地蔵の一つである露座の地蔵の地蔵菩薩像があると載っていたので、参拝をさせて頂き、また歩きます。

浜川橋(泪橋)を渡ると、鈴ヶ森刑場跡へと続きます。
鈴ヶ森刑場跡ではお線香をあげさせて頂きました。

ここまで来ると足が大分重くなってきました。

ここから先、旧東海道はやがて第一京浜とまた同じになり、さらにさらに川崎へと続いていきます。

・・・・が、ここからが本当に長い!たぶん距離にすると7㌔位だと思うのですが、普段7㌔なんて全然ランニングで走っている距離なのにひたすら続く第一京浜… とても長く感じます。 また第一京浜に沿って神社やお寺が非常に多く、ふらっといくつか参拝させて頂きましたが、ひとつひとつ参拝していたらどんどん時間が経過する程に非常に沢山あります。

もう秋だし、なんて思いつつ日焼け止めをしてこなかった自分をかなり後悔します。
ジリジリと照りつける太陽。
帽子はかぶってきたので良いのですが、腕が真っ赤に日焼けしました…
夏の間あんなに日傘をさして日光をよけたというのに。
なぜアームカバーを持ってこなかったんだろう… 今もヒリヒリ痛いです。

炎天下の中ひたすら続く第一京浜。今日一番ここがつらかったです。
だんだん足もパンパンになってきて、足裏も痛くなってきました。

いっそのこと、途中の蒲田で引き返そうか…と思いつつ、せっかく東海道53次初日なんだから、せめて自分できめたルール通り「折り返しも宿場まで行く」を守ろうと自分に言い聞かせます。

そしてやっと多摩川に差し掛かります。


当時は今掛っている「六郷橋」よりもう少し下流に「六郷の渡し場」があったようで、六郷の渡し跡があるようなんですが、どこにそれがあるのかが分からず、ウロウロしていたんですが、ブルーシートな方たちもちらほらいる様で怖かったので、跡をみるのはあきらめ、新六郷橋を渡った後、また旧東海道へと進みます。
もうすぐ、ようやく川崎宿へ到着となります。

足は重く、足の裏も痛く普段ランニングしていてもまだまだ運動量が足りないのかと少し悲しくなりつつも、しばらく歩くと到着致しました。川崎宿。

・・・・が、当時の面影は全然なく、案内板などはあちらこちらにあります。


こちらは浮世絵の川崎宿。
川を渡るとずっと宿場町が続いていたんですね。

宿場は久根崎、新宿、砂子、小土呂の4町で構成されていたとの事ですが地名が残っている場所もありますが残念ながら今では当時を思い起こせる場所はないようです。ですが、「東海道かわさき宿交流館」なるものがあり、当時の宿場の様子を知る事の出来る施設が旧東海道沿いにあります。
残念ながら、私がその施設の前を通った時には、片付け作業をされているようだったので、もう閉館なのか…と思い、立ち寄れませんでした。
 次回は、川崎スタートなので、最初に、「東海道かわさき宿交流館」に寄り当時の川崎宿を体感(?)してから、また東海道53次の続きを楽しもうと思います。


ちなみに、現在の川崎宿の様子はこちら。
あぁ、当時は偲べない…。


町のあちこちに案内板があるので、見て歩くのはとても楽しいです。
 あっと、忘れていました。大事なミッション、「宿場での食事」。

川崎宿に到着したのは16:30頃。
夜ごはんを食べるには早いので、和菓子のお店を見つけたので、どら焼きを購入。


生どら焼き。
こちらを川崎宿での「食」といたしました。
当時はどら焼きなんてあったのかな?
気になってみたので、少し調べてみると、江戸の時代にもどら焼きはあったようです。
ですが、形は今のどら焼きのように丸くなく、四角いものだったようです。
なるほど。
でも、疲れてる体に甘いものってほっとしますよね。
当時の東海道を旅した人もそんな風に思ったりしたかな。

***

日本橋を朝8:30に出て、川崎に16:30。
お昼の時間や参拝をしてところどころ立ち寄り時間はあったものの、8時間歩きました。
実際に歩いてみて、足は棒のように疲れたけど&腰が痛く…(不甲斐ない!)いろんな歴史の跡をたどり歩く東海道の旅路、とても楽しかったです!

今回の旅程は日本橋~品川宿~川崎宿の7.8㌔~9.8㌔の計17.6㌔。
結構疲れたけどハーフにも満たないなんて少し驚きました。
次回は川崎宿スタートです

次回はいつ歩けるかなぁ…
日程は未定ですが、東海道53次、続きます

つづく


2 件のコメント:

  1. こんばんは。ご無沙汰しております。
    ブログのお引越しをされていたのですね。さっそく(というには、気付くのが遅かったですが…)、ブックマークさせていただきました♪
    東海道五十三次…とても壮大な計画を立てられたのですね~。
    とても大変そうだけど、楽しそうです。達成された時には、すごい達成感が待っているのでしょうね。
    初日の17.6㌔だけでも、私には無理かも…と思ってしまいますが(笑)。普段から鍛えていないとダメですね。
    これからしばらく、お外が気持ち良い季節ですね。また楽しい旅をなさってください。

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    1. 桃千代さま
      こんばんは。ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。ブックマークもしていただき嬉しいです。(*´∇`*)
      東海道はゆっくり歩き始めましたが、とても楽しいです。歩きながら江戸を想いつつ、歩いています。
      今でも、昔を感じれる場所がちらほらとあったり、美味しいものとの出会いにもわくわくしています(食いしん坊なので(笑))
      桃千代さんはお元気でいらっしゃいますか?季節の変わり目で風邪も多いようですので、お体ご自愛くださいませ。

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